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1976年の「ヴォーグ」誌クリスマス号で映画監督ロマン・ポランスキーによって撮影された一連のファッション・フォトの後、論争を呼んだ監督は、彼の代表作となる作品「テス」のヒロインとして彼女を選んだ。期待されすぎなほどの、最後の犠牲者、殉教者として、キンスキーはハリウッドへ進出し、ゴールデングローブの最優秀新人女優賞を獲得する。彼女は国際的なスターとなったのだ。ポール・シュレーダーの「キャット・ピープル」とヴィム・ヴェンダースの「パリ、テキサス」は彼女のアメリカで評価を固めるものであった。20代にして、ナスターシャは監督達を虜にする不思議な魅力をもつ女優になっていた。
西ベルリン出身で、高い注目を集める反面、「狂人」といわれるほど激しい側面を持つ俳優クラウスキンスキー。13歳のナスターシャはヴェンダースの「まわり道」で映画界にデビューする。10作品ほどの出演をこなした後は、この美しい女優も母親役という一面も見せるようになっていた。「私は家族というものの本当の意味を知らなかった」。しかし、1993年、辛い離婚の後、ナスターシャはアメリカと海外の両方で女優として成功し続けた。カンヌ映画祭受賞作「時の翼にのって」、ビリー・クリスタル/ロビン・ウィリアムスと共演した「ファザーズ・デイ」、マイク・フィギスの「ワン・ナイト・スタンド」、マイケル・ウィンターボトムの批評家が絶賛した西部劇「ザ・クレイム」を含む、たくさんの映画に出演した。
キンスキーがエヴァ・ガルドス監督/脚本の「アメリカン・ラプソディ」のヒロイン(Margit)としてスクリーンに帰ってきた。1958年、ハンガリーからカリフォルニアの郊外へ亡命してきた、ガルドス自身の経験がもとになった作品である。ブタペストを離れ、Margitとその夫(トニー・ゴールドウィン)はその鉄のカーテンを抜け出し、太陽の照りつけるロサンゼルスへ向かう計画をくわだてたが、多くの金を失ってしまう。彼らの幼い娘、スザンヌ(ガルドス自身である)は置き去りにされ、6歳のとき彼女の「両親」と再会する。家族とは何か、本当の両親は誰なのか。ハンガリーにて32日間の撮影をへて生まれた「アメリカン・ラプソディ」は、キンスキーのあたたかさ、美しさ、度胸、そして才能を改めて感じさせてくれる作品である。
あなたは歳をとるごとに、役柄が多彩になっているように思います。ご自分ではどう思いますか?
様々な役を演じていますね、確かに。そのときによって全部役柄が違うし、私はそういうのが好きなんです。人生は一回きりですが、私は様々な人生を演技を通して体験できています。
トニー・ゴールドウィンとエヴァ・ガルドスは、「この作品は愛のある仕事だった」と言っています。あなたにとってもそうですか?
たしかにそうですね。大変な状況を生き抜いた家族の実際にあった物語ですから。彼らは亡命のための信念と強さを兼ね備えていました。彼らは娘を置き去りにしました──彼らは確かな誓いをしますが、その誓いは破られます。ただ生き残るために、彼らは誓いをし、彼女は娘が帰ってくると信じます。彼らは反発し、決して良いとは言えない生活をアメリカで始めます──その生活は、彼らがブダペストでしていたものとは違っていたからです。娘が生きているかどうかも分からない状況の母親の気持ちは私にはいまでも想像できません。娘がどこにいるのか、もう一度娘に会えるのかさえわからない状態というのはね。
あなたの母親としての本能を揺さぶりましたか?
ええ、それはもちろんです。私もひとりの母親ですしね。そのような状況になったらどうなるか想像するようにしました。エヴァの人生、彼女が幼かった頃の実際の話が、私を突き動かしたのです。
以前、1994年のインタビューであなたは言いました:母が私に望むことをすることで、母にたくさん気に入られたいと思うときがあったけど、そのあとは自分を曲げてはいけないと感じるようになった、と。これは幼い頃のエヴァを演じたスカーレット(ヨハンセン)の役柄と関係していましたか?
スカーレットの役柄は、自分自身を見つめ、自分の居場所を見つけようとするものでした。私は母に気に入られる方法がなくなるまでずっと気に入られようとしていましたが。私はできるだけのことをしました。
あなたが、お母さんと同じように詩人や作家になりたがっていた、というのは本当ですか?
私は書くことが好きですし、いつも自分自身のことを書きたいと思っていました。出版してもいいかもしれませんね。でも私がいったそういうことと前後関係があるかどうかはわかりません。母は素晴らしいものを書いていたので、私はいつも彼女が書いたものが出版されるように応援していたんです。私は小さい頃から常に物書きをしていました。私は、自分の人生──どう生きてきたか、何を夢見てきたか、自分が作り上げた本当の話──を書きたいと思っています。
あなたはそうとう凄い人生を送ってきたと思います。自伝を書く計画があるのですか?
実際にはないですね。
あなたの父上は第二次世界大戦中、捕虜でした。そのことを彼は話してくれましたか?
いいえ、父は私に何も話しませんでした。その一方で、母は自分が小さかったときに第二次大戦中のベルリンで空襲のなか街を駆け抜けて、防空壕に潜ったことを話してくれましたね。母の悲しかったことを、その当時はたくさん話してくれたものです。
父上はあなたが女優を続けることに対して応援してくれたのですか?
いいえ、私は父と話をしなかったし、応援されることも非難されることもなかったのです。父は一人の俳優ではあったけど、私たちはそういった会話はしませんでした。父は本当に非道い人間で、本当のことを言わせてもらえば、この世には非道い人間がたくさんいるということなんです。最悪なのは、彼が明らかに気楽な、もしくは快適な生活を送ることができていなかったことが、過ごした時間が非常に短い私にさえわかるということです。彼は自分だけの世界に閉じこもっていて、父のことを理解できる人間など誰もいませんでした。
この物語はどういう意味を持っていると思いますか? 「救い」?
よりよい人生を信じる勇気と、よりよい人生のために危険をおかす勇気。家族は辛いときでも一緒にいて、それぞれがあきらめない──ネバーギブアップ──強さに気付いたということですね。牢獄で死ぬんじゃなくて、生きるための人生に気付いたのです。私たちは重要な選択が必要なとき、自分のなかに強さの象徴を備えます。
そのような作品の特徴を表現できていると思いますか?
ええ。確信を持って。
スカーレットの中に、あなた自身と共通する何かを見いだせましたか? あなたはとても若い頃「テス」で有名になりました、いまはスカーレットがそういう状態だと思うのです。彼女にあなたの当時の状況などを話したりしましたか?
それはないです。でも私たちは本当に仲がいいんですよ。私がもしスカーレットと同世代だったなら、彼女はとてもしっかりしていますね。私の場合はそうでもなかったんです。彼女は非常に若く、非常に賢明で、しっかりしていて、自分自身および自分のやり方に自信を持っています。私はそんなふうに自信を持っていませんでした。でも私がいままでに出会って、一緒に仕事をした人たち──私を信頼してくれた人々──のおかげで自分を信じられるようになりましたね。自分を信じるのには最良の方法ではないのかもしれませんが、私はとても感謝しているのです。そこにたどりつく道のりがどうであれ、自分自身を信じられるというのはいいことですね。
「テス」もしくは「キャット・ピープル」を観たとき、自分を評価しましたか?
昔は非常に評価を気にしたものです。そのときはそのとき、いまはいまなので、最近は気にしなくなりましたが。それらの作品については自分を客観的にみていますね。
ロマン・ポランスキーがあなたを撮影すると言った日のことを思い出せますか?
ええ。彼は、「パイレーツ」という映画を撮ろう、「ヴォーグ」で大きな特集を組もう、と言って記事を書くライターを用意しました。彼のお気に入りのライター、お気に入りの画家…全て彼の人選でしたね。私たちはセーシェルへ行って撮影をしたのですが、そのとき彼から「パイレーツ」と「テス」についての話を聞かされたのです。彼は私にテスをやってほしいと言ったのですが、私がテスが演じられるということを彼に確信させなければなりませんでした。彼は私に6ヶ月間──役作りと私の独特な英語のアクセントを無くすのに十分な時間──の猶予をくれました。それからテストを受けたのです。
彼を芸術的な意味における良い指導者だと考えますか?
全くもってその通りでしょう。私の人生におけるそういった人たちに本当に感謝しています。彼らは私ができるだけベストを尽くすように、何か愛することがあれば、私の場合は演技をすることですが、それに全てを捧げるように促してくれましたから。自分が愛情を注いでやっていることの全てから学べということ。テスをやっていたとき、彼はみんなに厳しくあたりましたが、スタッフが一人の監督のためにあれだけ長い時間働いたのは滅多に見たことがありません。しかし彼はスタッフ全員、作品のシーンすべてに敬意を払っていたのです。彼はみんなにたくさんの要求をしましたが、同時に与えもしていた。彼は非常に厳しい人でしたが、チャレンジする気にさせられるし、私はそういうことがとても好きでした。
ヴィム・ヴェンダースはどうですか?
彼は私の最初の監督でした。おそらく彼は私が一緒に仕事をしたなかで一番静かで優しい人でしょうね。だからといって彼は弱い人間ではありませんし、自分のアイデアとヴィジョンにおいては非常に強い人でしたが、12歳のときに誰かとあのように仕事を始められたのは私にとってとても良いことでした。人々がこの仕事をどうやるかがだんだんわかっていきましたから。
子供を持つことがあなたのキャリアをどう変えましたか?
私の全てを変えましたよ。私は自分の仕事を愛していますが、家族と子供達をどう世話していけばいいのか、ということも私の仕事です。私がそれを愛する分だけ、ほとんどすべて、私は子供達のためにそこにいなければなりません。
年をとることとハリウッドとの関係をどのようにお考えですか?
えっ。年をとることについてはホント考えたくないです。人生は続いていくものだし、人は変化し、年をとるのですよ。それなのに「おい、これをやるには年がいきすぎじゃないか」なんてことを耳にするんですよね。
女性が年をとるにつれ、スクリーンで活躍できなくなってくるということに怒りを感じますか?
そんなことはないですよ。女性の全ての世代に見合った役がたくさんある、と私は思うのです。一般にはそういう素晴らしいことはあまりないので、きっとないんだろうと思われているんでしょうが。私は実際ホントにたくさんの仕事をしているんですが、それぞれ違った役なんですよ。
あなたの売りの一つに、マルチリンガルというのがあります。どういった言語を話せるのでしょうか?
ドイツ語、英語、フランス語、あとロシア語も少し。ハンガリー語はダメですね。セットには方言指導の人が付きっきりでした。
旅をすることは多いですか?
私はできるかぎり旅をしています。私は旅をするために生まれてきたんじゃないかと思うことがあるんです。そのせいで旅が大好きで、若いときに世界中の異なる文化や国をみて多くのことを学んできたのにもかかわらず、私はずっと世界の中心に憧れていました。それは私の子供達にとっても大切なことだと思いますし、だからこそ、私はできるだけ子供達と一緒にいたいし、離れたくないのです。
あなた自身はアメリカ合衆国に愛国的だと考えますか?
ええ。アメリカの考えや、自分たちの生活を向上させるために世界中から来ている人々の考え…それは大変なものです。目標を達成するのがどんなに大変でも、何度も頑張って、次の日がくればまた最初からやり直せるんだという考えですね。それは自分にかかっています。自分自身を信じ続けなければいけません。私にはそういうことすべてがアメリカを象徴しているように思えました。だから私は最初にここに来たとき、この国は夢をかなえるための国だと感じたんですね。ヨーロッパにはそのような姿勢を見つけられません。私はヨーロッパが好きですが、あちらではそのような精神を持ち合わせられないのです。
あなたはアメリカ人ですか?
私は単に「この世界」の住人でしょうね。
『アメリカン・ラプソディ』公式サイト
インタビュー原文(英語)
翻訳:田所典明(NASTASSJA KINSKI JP)
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