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text : Sachiko Watanabe

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いちずな愛に生きたテスに惹かれ、その生き方をすばらしいと思う一方で、ナスターシャは自分には自分なりの生き方があると承知していた。そしていま、フランシス・コッポラ監督の新作への出演が決まって、肩の荷がおりた思いだった。テスのイメージを拭いさるにはもってこいのチャンスなのだ──
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「ママ、女優って面白いのね。ずーっとやってもいいかもしれないわ」

まだ13歳になったばかりのナスターシャがそういったとき、アイシスはクラウスの顔を反射的に思い浮かべていた。

「そうなの?きっと撮影が楽しかったんでしょ。でも、またきっと気が変わるわよ」
「ママの意地悪。あたし、そんな気まぐれじゃないわ」

1年前に比べるとすっかり大人びて見えるけど、まだ子供だわとアイシスは思った。何もかもクラウスに似てるのね。私に似たのは顔だけ。あとは、気の変わりやすさといい、いちずなところといい、どこまでも父親によく似ていて気味が悪いくらいだ。

ねえ、クラウス、あなたの娘はこんなに大きくなったのよ。それに、女優になるんですって。そのうち気が変わるに決まってるけど、何も目的を持たないよりずっとましかも知れないわね。 母親が別れた夫のことを思い出してほろ苦い思いを噛みしめていることにも気づかないで、生まれてはじめてカメラの前に立ったことに興奮するナスターシャは、女優への憧れを目を輝かせて喋り続けていた。

「映画を作ることって、とても情熱的なことなのよ、ママ。ヴィン・ベンダースはねぇ、あたしにもっと仕事をしなさいって」

70年代のなかば、新しい動きを見せ始めた西ドイツ映画界は、若い監督たちをつぎつぎ夜に送り出そうとしていた。作品本数は徐々に増え、質が高く、しかも独特の個性を持った作品が生まれていた。そんな状況のもとでヴィン・ベンダース監督の"False Movement"(偽りの動き)に小さな役を与えられたナスターシャは、カメラの前に立つことがすっかり気に入ってしまったのである。

ヴィンは、その後、フランシス・コッポラの招きでハリウッドへ渡り、彼のプロダクションが製作する『ハメット』の監督にあたるのだが、同じ時期に、かつて彼が女優への道を与えた少女、ナスターシャ・キンスキーがかぐわしく艶やかに成長してコッポラの許へやってくることになろうとは、夢にも考えなかったにちがいない。

やがてフランシス・コッポラに招かれる日が訪れることも知らず、はじめて出演した『偽りの動き』に続いてピーター・シークス監督の『悪魔の儀式』などに出演。少しずつ女優らしいふん囲気を身につけていった頃、かつて母親のアイシスが予言したとおり、気まぐれがやってきた。

「ママ、女優も悪くないけど絵を描くのも素敵ね。将来は画家、なんていいじゃない?」

あどけない笑顔で問いかける娘に、ああ、やはりね、と思いながら、アイシスは真顔で答えていた。

「いいわよ、なんでもあなたの好きなことをやればいいの。ママは反対しませんよ」

性格俳優としてヨーロッパ映画界で大きな人気を持つクラウス・キンスキーと15才で結婚した翌年、1961年1月24日にナスターシャを生んだアイシスは、娘が9才になったとき夫と正式に離婚していた。

もう、あんな生活には戻りたくないと思う。すっかり疲れてしまった──。

素晴らしい役者といわれ、とりわけ西ドイツの若手監督たちの人気を集める彼は、その激しすぎる気性で妻と娘を愛し、時に、憎んだのかもしれない。気分が穏やかなときの彼は、妻子をどこへでも連れて行き、かたときも放そうとしなかったが、ある日突然気が変わると、行方も告げないまま何日も家へ戻ってこなかった。

tess01.jpgそんなとき、まだ若いアイシスは幼い娘を抱えて途方に暮れながら、それでも、いかにも生っ粋のドイツ娘らしくしっかりと胸を張って生きようとしていたのだ。だから、彼女は、夫の浮気が原因で離婚することになったときも、自分一人の手で娘を育てることができると信じていた。そして、娘にも独りで生きていくことができる強さを与えようとしていた。 「やりたいことをやりなさい、なんでもやってみて、それから自分が本当に好きな道へ進めばいいんだわ」

13才の娘に、29才の母親はいつもそう言いきかせていた。

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「ロードショー」1982年2月号 pp.134-135 text: 渡辺祥子