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ナスターシャ・キンスキーは少女時代のある時期を少年院で過ごしたことがある――そこで生活し、彼女の混乱を極めた生い立ちからすると、初めて安らぎというものを得たそうなのだ。いまこの女優は、なぜ自分が正しいことをしたいのかデビッド・トーマスに説明する。

ナスターシャ・キンスキーは最新作のロケ地に設置されたトレーラーに入ってくるなり、こう言った。「足がくたくただわ」

それから彼女は私をみて、私のノートとテープレコーダーをいじりながら、自分自身を振り替える。「私、ジャーナリストに憧れていたのよね」

マジでか? いや、嬉しいけど、読者の皆さんは信じないかも。私だって今まで聞いたことがなかった。

場所はエアーシア海岸、5月の夕方6時になろうとしているところだ。ここでは強い潮風が『モスコーからの脱出』並みの体感温度を作っている。私はその日までにスコットランドに流れ込み、デヌアー城を訪問した。ここにはキンスキー、カトリーヌ・ドヌーヴ、ルパート・エヴェレットらが制作費28億円、ランニングタイムは4時間半にわたる英語・仏語バイリンガル作品『危険な関係』の撮影を行っており、1960年代風のセットで、テレビと映画館の両方で公開される予定だ。

Rupert Everett & Nastassja Kinski

私は最高の時間を過ごしていることを実感している。しかし5時間も待たされれば、誰であろうとインタビューする内容は固まってくるものだ。そして、突然、私の前に興奮した様子で彼女が現れた。ミス・キンスキーは自分のシ−ンの演技が上手くいかなかったようだった。フォローしなければ! さあ、インタビューだ!

いままさに、目の前にナスターシャがいる。彼女は伝説の音楽プロデューサー、クインシー・ジョーンズとの娘、9歳のケーニャを連れ立っている。ケーニャの父親はマイケル・ジャクソンの「スリラー」を作った男だ。母方の祖父は映画史に残る偉大な狂人の一人、クラウス・キンスキー。そして、母親はもはや馬鹿馬鹿しいほどに美しい。

ナスターシャ・キンスキーと私は1959年の1月、1週間違いで生まれている。しかし、彼女の着こなしは私を大きく上回っている。彼女の父親の狂人じみた目つきは、繊細で表情豊かな目つきとなって受け継がれた。彼女が落ち込んでいるとき、または保守的になっているとき、その唇は一瞬毎に僅かな曲線をもってアヒルのそれのような動きを見せる。彼女はブリーチ(=乗馬用ズボン)にトゥィード・ジャケットという服装である(というのは、さきほどの撮影が乗馬シーンだったから)。後ろで結われた彼女の髪は不思議な、オレンジに近いブロンドに染められ、それは『突然炎のごとく』でジャンヌ・モローがかぶっていたトゥィードのキャップを思い起こさせる。

彼女の話し方というのは控えめで、囁くようで、抑揚は長く、しばしば消え入りそうになる、自信のない感じだ。それは小さな女の子がやるような、おそらく他の女性からすると腹の立つような種類の話し方であろうが、男性からすると可愛く映るようである。

「一日中ここにいたの?」と女っぽい同情にみちた声で彼女はたずねた。「誰かお相手したかしら? ずっと一人? まあ、かわいそう!」

私はマリー・トゥールヴェル夫人(=エヴェレット演じる悪名高きヴァルモン子爵に誘惑される貞淑な人妻)役にキンスキーを指名した張本人であるははずのこの作品の監督、ジョゼ・ダヤンについて話題を振ってみた。彼女はキンスキーにはこの役の重要な要素である「強さ」と「弱さ」を表現できると考えているはずだからだ。

Josee Dayan

キンスキーは笑う。「いつもはそんなこと言わないんじゃない?」 いやいや、言ってますって。しかしだ、ナスターシャ・キンスキーは本当にそのような演技力を十分備えている。彼女の母親、ブリジットは西ベルリンの美しい十代の売り子だった。クラウス・キンスキーが彼女を見つけて結婚し、彼女とナスターシャは一緒に大きなマンションに住むことができたが、ある種それは刑務所暮らしのようだったという。ナスターシャが8歳のとき、クラウスは家を出て、残された妻と娘は突然の自活を強いられ、貧しさに苦しんだ。

ナスターシャは自分が母親の面倒を見ることができるとわかった。彼女は12歳のとき、子役として仕事を始めた。それからというもの、彼女はいくつかの非行に走りはじめた(といっても万引きや無免許運転といった、よくある悪さというやつだが)。「それが周りの注意をひくのにいいやり方だと思っていたのよ」と彼女は言う。「最初は『そんなことが私にできる?誰かが私を捕まえるかも?』って感じだったのが、後には『ママはなんて言うだろう?何か言ってくれるのかな?』に変わっていったわ。そういうことがたくさんあった」。トレーラーハウスの窓から外を眺めつつ彼女はつぶやいた。「ママはたぶん気にも留めなかったでしょうね」。

15歳のとき、キンスキーは逮捕され、3ヶ月間(少女だけの)少年院に送られた。「そこは私にとっては申し分のない場所だった。あそこでの生活が私の人生最高のときだったということは間違いないわ。たくさん読書をして、たくさんもの書きをして、自分が人生で何をやりたいかを決めることができた。私は思ったわ、『これが最後の静けさだ』と。何が言いたいのかというと、わかるでしょ、それまでと違って周りの人々は厳しくなったの。でもそのことは私を悩ませたりはしなかった。まわり道もしたけど、結果的に良いまわり道だったということね」

ここにいるのは自分の人生から欠落しているものに対して悲嘆の声をあげる一人の少女である。いて当然だったはずの父親の不在のためか、彼女は年上の男たちと次々に関係をもち、その中には『テス』で彼女をブレイクさせた監督、ロマン・ポランスキーも含まれている。

「ロマン・ポランスキーは私を本当に尊重していてくれていたし、真摯に受けとめてくれていたと思う」と彼女は言う。「彼は私にたくさんのチャレンジをさせたわ。彼は厳しい人だったけど、私にそれができるはずだと確信して十分気をつかってくれた。私にレッスンを受けさせ、本を読ませ、私の言葉でこの素晴らしい女性を演じられるようにロンドンのナショナル・シアターに通わせたの。本当に最高の気分だった」

『テス』は、長いキャリアの中のなかったことにしたいような作品、いや実際なかったことになっている作品たちと作品と並べても、数少ない傑作のひとつだった(もうひとつは『パリ、テキサス』)。キンスキーはイブラヒム・ムッサというエジプト出身の映画製作者と結婚し、2児をもうけた。その子たち、アリとソーニャはいまではもう10代後半という年齢である。それから、クインシー・ジョーンズがあらわれた。

現在、キンスキーはロサンゼルスに住み、40代の女優向けの役で、たまたまミシェル・ファイファーに話がいかなかったものというような類の仕事をしている。IMDbによると、1999年からの彼女は20以上の作品の製作に関わってきたことになっている。その多くは映画館で上映されることがなかった。

唯一の多額の予算が組まれた作品『フォルテ』でウォーレン・ベイティやダイアン・キートン、ゴールディ・ホーンなどとともに出演したが、陥落した、過去の有名人の一人になってしまっていた。私は馬鹿にして言っているのではない、ただ単に「40代のナスターシャ・キンスキーは一人の働く母親に過ぎず、スターとはいえない」ということに意見し、彼女にはまた仕事に励んで、同時に子供たちもうまく育てていってほしいと願うだけなのだ。

「私は安定した子供時代を過ごしたことがなかった」と彼女は言う、「だから私はいつも子供たちのことを優先し過ぎてしまうんだわ。いつもホントの絆で結ばれた家族というものに憧れてた。そういうのをすごく尊敬してたから、私も憧れられるような人間になるためにできるだけ努力しようと思ったの」

私たちが話していると、ケーニャが周りで騒ぎだした。お茶くみをしたり、お使いにいこうとしたり、とにかくかまってほしいようだ。「紅茶とチョコレートケーキ、サンドウィッチの時間よ!」と彼女は叫ながらトレーラーハウスの中に入ってきた。この素晴らしいニュースを聞いた後、私は彼女にナスターシャは良いママかどうか聞いてみた。

「良いママよ」とケーニャは快活に答える、「私をぶったりしないから!」」

これには納得だった、好調なスタートだぞ。「私はママを心配させてばかりなの」とケーニャが続ける、「元気過ぎて、ママを怖がらせちゃうし。言うことを聞かないこともあるし。例えば、階段で飛び跳ねるなと言われたのに飛び跳ねたり、歯医者に行かなきゃいけないのにいかなかったりだとかね」

キンスキーと私はしばらく『危険な関係』とその陰謀と恋愛が妖しく絡み合うストーリーについて話した。「恋愛はこの世でいちばん素晴らしいものだと思うわ」と、彼女が喉を鳴らす。「私たちがこの世で実感できる唯一のものよ」

「あなたは恋をしてますか?」と私は尋ねた。

彼女は楽しさと怒りが混じったような興奮気味のようすで答える。「そのことについては話したくないわ! でも恋愛は危険なものよ。合わない人と一緒にいると自分まで駄目になってしまうの。そのことは子供たちには言い聞かせているわ、特に娘たちにはね。合わないな、と感じたらそれ以上前に進んではだめ。痛みを感じたら、立ち止まるの。その痛みにあまり慣れ過ぎちゃうと、恋愛ってそういうものだと思うようになってしまう」

私たちがしばらくこの話を続けていると、キンスキーの口調が突然激しくなった。こういうとき、私ははっきりと彼女から「捨てられた子供」としての怒りを感じとることができる。「誰だってなぜ人間は酷いことをするのか説明できるんでしょうけど、私はそういうのを受け入れられない。例えうまくいかなくたって、人は正しいことをするように努めなければ。やるだけやってみるの。そうするべきよ。失敗するとしてもね。正しいことをしようと挑戦し続けるの」

ちょうどそのとき、プロダクション・アシスタントがキンスキーに撮影現場に戻ってくれと言いに割り込んできた。この場を去りつつ、彼女は言った。「ねぇ聞いて! 私はこの映画の中でそれをやり遂げたいの」

「よくわかりましたよ」、と私は返事する。「撮影がうまくいくように、無事にすべて終わることを祈ってます」

「ええ、それがいいわね」、ジャーナリスト志望の女性は、場を去る前にもう一度、そのあどけない目を私に見せながら言った。「それは私も祈ってるわ」

Japanese translated by Noriaki Tadokoro (nastassja-kinski.jp)

Thanks to Koiti Kato (horagai.com)

original text by David Thomas (telegraph.co.uk)

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