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ナスターシャ・キンスキーの茶色の髪は長くてラフだ。そのうちの1本が彼女のカプチーノのカップの中へ落ちる。彼女のグレイ・グリーンの瞳が目まぐるしく変わる。彼女の表情はみるみる影に覆われる。左の頬にある小さな傷跡は、数々のやんちゃの痕跡だ。彼女はいつでも餓えている。「自分の眉を食べるようなときもあった」と彼女は告白する。「11歳か12歳ぐらいまで親指をしゃぶったり、指で眉を引っこ抜く癖があったの。それにハチミツとか何か甘いものをつけて、それから眉を引っこ抜いて口の中でもてあそぶわけよ」。彼女の唇は豊かで、肉感的で、まさにその眉のように曲線を描いている。彼女はお腹が減ろうものなら、時に手の甲でで自分の濡れた唇を拭いながら、パンといっしょにラム肉の最後の一切れまで食べ尽くすのだ。ある日のランチでは、チョコレートが塗られた大きらイチゴにかじり付く様があまりにすごくて、舌でドラムロールの音を出しているかのようだった。「ダムド、ダン、ダン」てな具合に。彼女の、その咽の奥から発する声は強いと同時に朧げである。「こんにちは」「さようなら」を彼女流にやると「よく眠れた?」「いい夢を」となる。彼女は純粋で、放浪者みたいにあやしいのに、恐ろしいほど美しい。彼女の歯並びは完璧で、色も真っ白、ヒソヒソ話をするときの彼女の息遣いは赤ん坊のそれか、ホイップ・クリームのようである。
22歳のナスターシャはドイツ生まれ、3年前のロマン・ポランスキー版『テス』における悲劇のヒロインとして、その前には10代にして彼の若き愛人として、急速に世界規模でモデル/映画女優として名を知られるようになった。フランシス・フォード・コッポラの『ワン・フロム・ザ・ハート』ではサーカスの綱渡りを演じ切り、ポール・シュレーダーが監督した『キャット・ピープル』では動物の欲望と人間の恋愛の狭間で揺れる猫族の末裔を演じた。しかしながらおそらく、ナスターシャのイメージを最も適格に表しているのは、1981年のリチャード・アヴェドンによる、錦蛇を身体に巻き付けて寝そべる裸体写真ではないだろうか。現在、彼女はハリウッドに進出してから初めてのコメディ、ハワード・ジーフ監督の『殺したいほど愛されて』の撮影の真只中である。キンスキーの共演者、ダドリー・ムーアは語る。「彼女に大暴れされる覚悟はできているよ。あの大きな眼と学ぼうとする姿勢はまるで子鹿のようだね。彼女は常に神経をピシッとはって、信号をキャッチし、いつでも逃げ隠れできるような体勢をとってるのさ。彼女は自分のことが好きじゃないっていうけど、でもさ、強調させてもらうと、彼女は数えきれないほど魅力があるわけだよ。例え彼女が自分の魅力を理解しようがしまいがね。その魅力ってのはストロボの光みたいにピカーッって感じなんだ。彼女は自分がもっと前に出るべきか後ろへ退くべきか迷っているようだね」
撮影現場でナスターシャはいつもガムを噛んでいる。一度、監督がこう叫んだ。「ナスターシャがガムを噛むテンポに合わてみようじゃないか?」。20世紀FOXの撮影現場、あるシーンの待機中の彼女は、頭を前後に振り、落ち着きなく(馬のように)足で地面をひっかいている。顔を火照させながらビニールのたてがみのような髪を白の電気カーラーでクルクル巻いたり、あるいはSound Stage 16(訳注:カリフォルニア州、マンハッタン・ビーチのraleigh studioにあるステージのひとつ)の中を動き回ったり。しゃがみこんで木屑をひと掴みし、その匂いを嗅ぎ、それから自分の指の間からそれをサラサラ落とすなんてこともやっている。現場では彼女とダドリー・ムーアの2人で鬼ごっこやらネコの声真似やらのゲームをしたりする場面も垣間見られた。「一種のおふざけだけど、おかしいの」と彼女は説明する。「でも、おかしいと同時に、私にとってはおふざけなどころじゃない、重要なことでもあるのよ。一種の相互理解ね。私が気分の優れないときや、何だか混乱してるとき、ダドリーは猫語を使って私を笑わせてくれる。彼はいろんな猫語を話すのよ。表現することで、私たちは相手が言わんとしていることを理解することができる」
FOXの重役の1人であるヘンリー・キッシンジャー氏(訳注:1923年ドイツ生まれ。ハーバード大学教授を経て米大統領補佐官、国務長官。1973年ノーベル平和賞受賞)がある日『殺したいほど愛されて』の撮影現場を訪れた。彼はナスターシャに歩み寄り、こう言った。「君が豹に変身するのを見たことがあるぞ」。彼女の青ざめた顔が驚きの表情を見せ、彼女はどもりながら「まあ、そ、それはどうも」と返す。それから彼女は氏自身や世界がこれからどうなるのか訪ねる。どこかに滞在する度に、昼食の度に、夕食の度に、パーティに出席する度に、ナスターシャは母親であるブリジットに電話するために5分ほど姿を消す。この母親はナスターシャと一緒にロスアンゼルスに一時的に滞在している。電話をするために人に10セント硬貨を借りることもあった。ある日など、彼女が飼っている1ヵ月半の子犬=メキシカン・チワワが病気になり、彼女は20分も(ナスターシャにニューヨークまで犬を連れて行かせた張本人である)母親に電話し、さらに10分間、獣医と犬の容態について話し続け、ロンドン版Timeのインタビューをすっぽかしたこともあるそうだ。仕事の後の彼女は、スウェットシャツとパンツ、白のテニスシューズという格好になるか、紫っぽいピンクのスウェットと青のシューズという組み合わせ、もしくは大きめのオーバーオールといった感じで、20歳よりかは若く見える。
「もし私が動物に生まれてたら」彼女は言う。「サカナか鳥になりたかったな。彼らは平和、大海の美であり、言葉を必要としない。安全な、母親の胎内のようね。空もそう。私はどんな色も好きだけれど、特に青が好きなの。青は水や空のように透明だから」。時おり、彼女の詩的な言葉や崇高な美しさのせいで、彼女がこの世の住人ではないような気がすることがある。それからちょっと嫌な間があって、彼女のそんなオーラが消えると「今日ね、ハワードが私が太ったって言うの」なんてことを言い、前菜をたいらげた後、さらにスパゲティを食べてしまったことを話す。彼女は自分のお尻を軽く叩いて「ココが太ってきちゃった」と言って笑う。「その通りよと彼に言ったの」
キンスキーは官能的で甘い、魅惑的なセクシーさに満ちている。あるディナーで彼女は、明るめのブルーの短いニットのドレス、暗めのブルーのタイツ、赤のハイ・ヒール、ゆったりとした赤のベルトという格好で登場した。彼女の腕は産毛も目立たない。彼女が髪を後ろに結っているとき、人々は彼女の長い首の曲線が、まるでネフェルティティ王妃(訳注:紀元前14世紀初期のエジプト王妃)の絵のようであることに気付く。突然、彼女は椅子にもたれ、男性のように脚を組む。ドレスの中が見えそうになっていることなんて気にしてないみたいだ。ロスアンゼルスのおしゃれなマ・メゾンで催されたパーティのときには、黒のレザーのミニスカート、黒の水玉が入ったフラットシューズ、Vネックのブルーのセーターにショルダーバックを下げながら、彼女はかなり酔っぱらっていた。シャンペンのグラスを壁に投げ付けて割ったり、角にあった男性の銅像に腕を廻し、それに熱烈にキスをしたり、という有り様だった。
彼女は激しい性格であると同時に、生まれながらにして愛情深く、楽天家であり、どんな小さなことにでも、例えばチョコレートや風が気持ちよかったというだけでも、大喜びする。ドストエフスキー作『白痴』のナスターシャ・フィリポブナにちなんで名付けられた彼女がしきりに言うのは「満ちていると同時に空っぽであること」「何もかもがそろっていながら、何も持っていない」「苦痛があると同時に安堵感がある」といったことである。彼女は彼女自身が創り出した自然主義的な宗教、ある種、中国の道教的な考えに基づいて行動しているように見える。彼女の好きな言葉をいくつか挙げると、「真実」「流れ」「展開」「呼吸」「惑星」「対峙」「薬」「切望」といったところである。彼女はとても真面目にアーティストとしての自覚を持ち、自分を表現するために努力している。あるシーンを撮り終えた後も、彼女自身の強い意志のせいで体がピンとはりつめたままだったこともあった。あまりに激しく集中すると、彼女は震えてしまうのだ。演じるキャラクターから抜け出すにつれ、彼女の瞳はとろんとしてきて、恥ずかしそうな表情になる。
彼女は言う。「私の今の状態は過渡期ね。誰でも思春期の真只中には、自分が何をしたいかなんてわからないものじゃない? いまはそんな感じね、そのときそのときで一生懸命働けば、この過渡期も何かよいものになるんじゃないかっていう。でもいまはやりたいことをやれてないし、虚しさや自信のなさを痛感してる。若いようにも歳をとったようにも感じるのよ。20歳から全然成長してないようにも感じる。私はこれやあれについて知りたいとか、ここに居たいとかあそこに行きたいとかそういうたくさんの欲求をすぐ口に出してしまう。どんなときでも本当にやりたいことというのは一度に一つだけなの。同時に全てのことを知ろうとしたりやろうとするのはやめなくちゃね。あなたが美しいものがいっぱい詰まった家を一件持ってたとするわ──銅像、本、ランプとか──そういうのを少しずつ、少しずつ、少しずつ人にあげていって、最終的に何もなくなったとするでしょ。そしてね、大きな灯りと一つのものがある家に入っていって、そこに坐っていると、自分の人生って何なのかがわかるのよ、ものについての発見は次というものを生み出し、それは必ず実現されるものであるということをね。まさに私の人生こそが混乱していて満たされないものだったの。でも満たされるために私は努力している。体を起こして、そこから逃げてはダメなのよ。もしもこの体に私が支配されていたとしたら、私はとうの昔にそれを切り離したのでしょうね」(第2回に続く)
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