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ナスターシャは私が父親に会ってきたことを知ったとき、彼女は自分がそれを認める以前にあの父親の娘なのです、と言った。「自分を孤立させようとするのはドラッグみたいなもので、もともと自分にはそれがまだできないことがわかっているのよ。私はもっともっと自然になろうとしているし、いつも自然の起源であるヴィジョンを自分に取り入れようとしているの。だけど、父のようになりたいとも、何かを動かしたい、誰かを支配したいとも思わない。私の父はある意味では臆病者なの。私もそう。二人ともそうなのよ。私が臆病だというのは、自分が本当に愛している人と関係を築いたっていうのに、いきなり引っ込み思案になったり優柔不断になったりするからなの。いままでも私は何かに、あるいは誰かに全精力を注ぎ込むタイプだったけど、ウサギのように突然立ち止まってきびすを返してしまったりする。いつもその次を、新たな驚きを求めてしまうのね。父のように何かに身を捧げるのが怖いんだと思う。父は誰かと本気で対峙するのを望まなかったから、いつも出かけては太陽と遊んでるような人だった。私も同じことをしているし、それが父を遠ざけてる理由でもあるわ。自分の中にそういう部分があるのがわかるからね。そう、私は中立なのよ。私は喜びとは何か、痛みとは何かということを知る必要があるの。「痛み」──それは一単語でしかないけど──というのは良いものだからよ。痛みがあるからこそ、安堵があり、発見があり、愛情が生まれるの。全てはつながっているのよ」
「ほかの人たちは私のことを蝶のようだと言うの。あるところで羽を休めながらその瞬間を楽しみ、また別のところへ飛び立つ。彼らはそれを素晴らしいとも、最悪だとも言うわ。素晴らしいその瞬間はにわか雨のように過ぎ去り、だんだん熱が冷めていくとまた飛び立つっていう。私はいつもこれを惑星のイメージとして捉えている。近ければ近いほど、小さければ小さいほど、それを自分の手中におさめたとき、何も感じないということよ。そしてそれを手放した瞬間、それは再び飛び立ち輝くの。まだ私と一緒にいたいと思う時期じゃなかったんでしょうね。私は耐え忍ぶことになるわ。私は主にそれを自分自身に重ねて表現している。実際にそうやって書いたの。日記ではなく、ある友達に手紙でね。自分のなかで複雑に存在している断片をつなぎ合わせるのに良い方法なのよ。しばらくは書かないけれど、そのうち思いの丈の全てを書くことになると思うわ。それは呼吸のようなものなの。書いているときって、毛穴が開いて浄化されたような気持ちになるのよ。私は二重人格なのかもしれない。悪い意味で、あるときは野獣、あるときは天使になるっていう。でも野獣が宿っているときというのは強いイメージがあるでしょ。そうではないのよ。自分を抑え付けておくことができない。そのときは何の保証もできないのよ。私の中の冷淡で、残酷で、無慈悲な一面が全てを飲み込もうとする。でも私には一つ資質があるの。ヴィタミンのような、即効性のある喜びというものがね。この喜びは何よりも強いのよ。というのはこれが非常に高度なレベルで、美しく強い何かで繋がっているからよ。これが真実なの:私は何かを創造し、次の瞬間にはこの世のもっとも純粋なものを破壊する能力をもつ。もっとも大切な瞬間に、自分の親友や母親を奈落の底に突き落として、くるっと振り返り、今度は全く面識のない人を救い出したいという欲望が目覚めるのよ」
「父は私に特定の宗教に左右されるなといっていたわ。宗教なんてものはすべてインチキで偽善にすぎないとね。もし何かを信仰したいんだったら、日々の生活を愛し、花を愛し、両目を見開いて人生を全うし、嘘をつかないことに努めなさい、と言われたの。「道徳」という言葉を父は決して使わなかった。「真実」という言葉もそう。「真実」、そして他の動物たちのように物事に向き合うこと。私は自然の一貫性というものを崇拝しているの。なにか物事が起こった後は必ず、神様が何かを創造するかしないかに関係なく「進化」が起こるのよ。誰が生命というものを生み出すかに関係なくね。誰が神なのか、神とは何なのか本当に知っている人がいるのかしら? 私たちができる最良の行い、と同時に私たちにできる唯一の行いというのは、何かをし続けることなのよ。宇宙がどのように始まったのかなんていう疑問は私にとって苦痛でしかないわ。最初の生命は昆虫だったといわれている。何千種類の昆虫の中でどれぐらい美しい、完璧な昆虫がいたのかしら? いくら私たちが遡ろうとも、最初がどうだったかなんてわかるわけないのよ。そこにある事実というのは本で読める内容というだけで、いまだに確証はないの。わかっているのは地球が廻っていて、私たちが生きているということ、それだけよ」
「私が好きなものはなんでも両親に関係するものだったわ。彼らが好きで聴いてた音楽とかね。私はショパンで育った。父はアフリカ音楽のレコードを持っていて『ウガデュガ、ウガデュガ』って歌ってる本当のジャングルを感じられるアフリカの音楽だった。ボンゴ・ドラムを使ったやつね。それを効いていたときは、体内から湧き出すようなリズムを感じたものよ。あと、私はドストエフスキー、カフカ、ゲーテが大好きなの。というのも彼の本を読んでということじゃなくて、両親がそれを好きだったから。だけどあることがあって、私たちは3人に別れてしまった。いろんなことがあったけど、私が最初に没頭したのは家にあったたくさんの本や物だった。私が読んだ本はすべて私の友達になったの。ドストエフスキもゴゴールもカフカもゲーテもみんな、ある意味で同じことを訴えていると思う。彼らが望むことは全て同じことなのよ。おかしなことにね。いきつくところはひとつ、私が両親から学んだことも最終的にはひとつなの。安心感といえばよいのかな。それは最初は若くてだんだん年をとるけど、また若返るものよ。人間というものは本当に年をとったときこそ、若返ることもできる。生きていると実感するためには頬をつねる。光の存在を知るために、暗い場所を探す。それと同じように、愛情の素晴らしさ、生きることの大切さを老年期に実感するとき、人は自己の再構築というものを行うのよ」
キンスキーは自分で脚本を書いた“Day and Night”という作品があることを明らかにし、この作品に出演するのではなく監督をやりたいということを語った。「人間の一日の生活を描いたおとぎ話のようなものよ。登場人物は2人:35歳ぐらいの美しい女性なんだけど、余命いくばくもない。もう一人は11歳か12歳ぐらいの少年。2人は全くの他人なの。恋人同士でもない。ある日、女性は少年に出会い、彼に向かって叫び、彼をぶつのだけど、夜になるとそれが愛情に変わり、母性に目覚めるの。昼間のあいだ野獣でいるために、夜はできる限り泳いで海へ出る決心をする。そうやって朝を待つの。日が落ちるとき、女性はその子供を溺れさせようとする。すると今度は子供の方が彼女に捕まろうとして、結局二人とも抱き合ったまま海に落ちてしまうのよ」
キンスキーはファースト・ネームをNastassjaに改名した。1984年の9月には13歳年上のエジプト人実業家、イブラヒム・ムッサ氏と結婚した。彼らは2人の子供を設け、1984年には長男のアリョーシャ・ナクツィンスキ、1986年には長女のソーニャ・ライラが生まれている。夫婦は(この本の執筆当時は)パリとローマの家に別居中である。キンスキーのハリウッドでの最新作はアル・パチーノ共演の「レボリューション(1985年公開)」。主にヨーロッパ映画で活躍中である。
Original English version : NASTASSIA KINSKI : WILD CHILD
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