ENGLISH | JAPANESE | PORTUGUESE

NASTASSJA KINSKI STORY

『ノスフェラトゥ』など、ヨーロッパの映画界で絶大な人気を得た性格俳優クラウス・キンスキー。彼は2人目の妻ブリジット・ルース・トキ(当時15歳)と1960年に結婚、翌年の1月にナスターシャ(ドストエフスキーの『白痴』より命名)が誕生。このころのクラウスとブリジットは、売れないクラウスのマネージメントをアイシスが引き受けて、誰から見ても幸せなカップルであった。しかし、ナスターシャが9歳になったころクラウスの浮気が原因で2人は離婚。以後、ナスターシャはまだ20代半ばだった母とその恋人に連れられてミュンヘン、ローマ、ベネズエラなどを転々。そのおかげで、母国語のドイツ語のほかにイタリア語、スペイン語、フランス語、英語とさまざまな国の言葉が自由に操れるようになったが、一カ所に定住できなかったため友達が出来ないのが哀しかった、という。

ニュー・ジャーマン・シネマを代表する監督であるヴィム・ヴェンダースは、『都会のアリス』に続くロード・ムービー第2弾『まわり道』の製作にとりかかっていた。この映画の登場人物の一人で、口のきけない少女ミニョンを演じる子役を探していた彼は、女優リザ・クロイツァーの紹介で、当時モデルとしても活躍していたナスターシャ(当時13歳)を西ドイツ・ベルリンのロッククラブにてスカウトする。この映画の出演がきっかけとなり、西ドイツのTV映画数本に出演。ティーンが選ぶ「ゴールデン・バンビ賞」を2度受賞、アイドルスターの仲間入りを果たす。

15歳になったナスターシャは、あるパーティにて母から、映画監督ロマン・ポランスキーを紹介される。彼の長年の構想であった『テス』は、妻シャロン・テートの惨殺という事件があって以来、お蔵入りになっていた。しかしこのパーティで彼はナスターシャに一目惚れ、再び『テス』の映画化を決めたという。その数日後、ナスターシャはポランスキーに頼まれて写真のモデルを勤め、彼に誘われて各地を旅することに。世間では、ポランスキーの新しい恋人として噂されることとなった。

大作『テス』に向けて演技力・英語力を高める必要があったナスターシャは、16歳で単身渡米。ニューヨークのアクターズ・スタジオでリー・ストラスバーグのもと、半年間学んだ。一方のポランスキーは少女暴行というスキャンダラスな事件を起こし、アメリカを脱出。これによって『テス』の撮影が延期になったため、ナスターシャはマルチェロ・マストロヤンニ共演のイタリア映画『今のままでいて』に出演。この映画の中で撮影されたヌードシーンが世界中の雑誌でトリミングされて掲載されるというトラブルも起こった。

4年近くという長い準備期間を経て完成した『テス』は、各方面から高い評価(ナスターシャも米ゴールデン・グローブ賞新人映画女優賞受賞)を受ける。ハリウッドのフランシス・F・コッポラ監督もこの噂を聞きつけ、次回作に彼女を起用する計画を練る。ナスターシャは『テス』の共同製作者、アンヌマリー・ベリに連れられ再度渡米し、コッポラの新作ミュージカル映画『ワン・フロム・ザ・ハート』に出演する。長い撮影となったこともあって、ナスターシャはビバリーヒルズに家を借り、母と一緒に住むようになっていた。ハリウッドの彼女に対する評価は徐々に高まっていて、次々と持ち込まれる脚本のなかには、ナスターシャも大好きな『タクシードライバー』の脚本家ポール・シュレイダーの新作もあった。これが『キャット・ピープル』の出演へと繋がり、その後も続々と話題作への出演依頼が殺到する。

ナスターシャは1980年8月25日に『テス』のキャンペーンのため初来日、各雑誌の取材の他、2つの企業からCFのオファーを受け、日本のお茶の間にも『ジャパンライフ・ヘルシーベッド』『サントリー・ワイン・レゼルブ』で登場することになった。また、ちょうど同じ時期『上海異人娼館』の撮影のため来日していた父クラウスの「娘の記者会見に同席したい」という発言に対して、ナスターシャは「父は私を利用しようとしている」と断った、というエピソードも残っている。

1年に4本の映画に出演という、国際派女優としてまさに人気絶頂にあったナスターシャであったが、ここにきて彼女の「妊娠」が発覚。父親の名前が公表されないまま、1984年6月29日に長男アリョーシャを出産。未婚の母となるが、そのあとすぐエジプト出身の映画製作者イブラヒム・ムッサが子供の父親であることを発表し、同年9月10日に結婚。二人の出会いは81年『キャット・ピープル』撮影中のロサンゼルスであった。1986年には長女ソーニャが生まれた。

長女ソーニャが生まれたあと、ムッサとナスターシャの関係は徐々に悪化の方向へ向かってしまう。2人は長い別居生活に入り、ナスターシャはシングルマザーと女優の2足のワラジをはく生活を送っていたが、1992年、ついに「離婚」という形で結婚生活にピリオドを打つ。その決断の理由と思われるのが、マイケル・ジャクソンのプロデューサーとしても知られるアメリカの偉大な音楽家、クインシー・ジョーンズとの出会いだった。2人は1991年から生活を共にするようになり、1993年には彼女にとって3人目の子となる次女ケーニャが生まれた。

結婚こそしなかったものの、ジョーンズとの生活も1997年をもって終焉を迎え、再び3人の子供のシングルマザーとなったナスターシャは、その後もコンスタントな女優業を展開。1998年には、『ロレアル・パリ』のCMに出演、白髪染め?ともとれるこのCMでのナスターシャの姿に、昔からのファンは悲哀を感じたとか感じなかったとか。全盛期は、大御所俳優の若い愛人役、というものだった彼女のイメージも、最近では美しい母親役のイメージにとってかわった。女優として円熟期に入った彼女の今後の動向は、このサイトを通じてできるかぎり追っていきたいと思います。

amazon.co.jp

表紙
Kinski Uncut

発売中

表紙
クインシー・ジョーンズ
自叙伝

発売中

ナスターシャ キンスキー ジェーピー : 編集日記 | お問い合わせ