「SAVIOR」は企画当初から製作まで、激しい感情と情熱が伴っていた。ボスニア戦争後、全てセルビアで撮影された最初のアメリカ映画であり、国際色豊かなキャストとスタッフを起用して、この物語は製作された。セルビア人監督のピーター・アントニエビッチ、アメリカ人男優のデニス・クエイド、ヨーロッパ出身のナスターシャ・キンスキーとステラン・スカルスゲード、さらにカメラマンのイアン・ウィルソンはイギリス出身、編集のガブリエラ・クリスチアニはイタリア出身、音楽のデビッド・ロビンスはアメリカ出身、といった具合にまさに国連並のスタッフが選び抜かれている。
「SAVIOR」の製作は1995年10月の上海映画祭で製作のジャネット・ヤンが監督のピーター・アントニエビッチと出会ったことがきっかけとなった。二人はロサンジェルスに戻ってからも交流を深め、ヤンが脚本のロバート・オアを紹介した。そこでピーターは、オアがボスニア戦争で体験したときの話を聞いた。戦争中20代だったオアはアメリカ人の新聞カメラマンのアシスタントとしてボスニア南部を巡った。そのセンチでオアは実在の「ギイ」に会い、彼の話を世間に伝えたいと感じた。「彼に出会った時、彼はしたたかに酔っていました。その時、戦争中に孤児となった赤ん坊を世話してくれたのです。この話を是非とも伝えたいと感じました。」とオアはいう。また、多くの外国人傭兵にも出会ったそうだ。彼らは様々な理由で傭兵になっていたという。「多くの傭兵は、自分たちの戦う目的を正当化しようとしていたしかし、一部の傭兵は生活のためだけに傭兵となり、目の前にあるものは何でも銃撃した。」あるアイルランド人の傭兵は、「戦争では誰も人のことなど気にしちゃいない。兵士にとって、相手はただのモルタルやレンガに過ぎない。それは兵士の神経が麻痺しているからだ。戦場で本当に人間性を感じていたら、絶対に忘れることは出来ないだろう。」と語ったと言う。
映画製作期間中、出演者もスタッフも、自由時間を過ごし、それぞれの生い立ちや経歴を打ち明けた。その中で最も感動的な話は、みんなから好かれていた運転手のペローの話だった。彼は21歳までは高い教育を受け、成功したビジネスマンとしてクロアチアでレンタル・ビデオのチェーン店を経営していた。しかし、両親とクロアチアに住むセルビア人であるペローは、ある朝早く年老いた母に起こされた。クロアチア人の襲撃を受ける恐れがあるのですぐに脱出しなければならないと母は告げた。5分ほどの間に、彼らは車にわずかな着替えを積み込み、家を出た。両親が一生かけて懸命に働いて築き上げた我が家、友人達、愛する人々、財産の全て、仕事、金、生活を失い、彼らは一瞬のうちに難民となった。数千人の人々と同じく、頭上から爆弾が投下される中、彼らは渋滞した道をベオグラードへと向かった。今や、クロアチア人が支配する土地に住むセルビア系住民というだけの理由で、ペローの家族は全てを捨てさらなければならなかった。撮影当時、25歳だったペローは、その辛い経験にも関わらず、希望と将来の道があることを周囲の人々に示してくれた。
この映画に関して、ナスターシャ・キンスキーはこう語る。「この映画の主題を良く見極めなければなりません。クロアチア人は、主題は反クロアチアだと言い、セルビア人は反セルビアだと言うでしょう。でも、本当の主題は反戦なのです。」またエグゼクティブ・プロデューサーのシンディ・カウアンは、「アメリカではセルビア人の実態について、メディアから非常に偏った解釈しか提供されていません。でもここにやってきて、セルビアで起こったことについて学ばなければならないことがたくさんあることに気がつきました。この土地の人々は、私たち自身の人間性について教えてくれます。」と語った。
主演のデニス・クエイドは、以前スロバキアで「ドラゴンハート」を撮影した時に、旧ユーゴスラビアを訪れたことがあった。「メディアを通じて、私たちは戦争に関することを嫌と言うほど知らされています。でもここへ来て人々とじかに接するとさらに別なことがわかります。それは、人々の顔を見るとみんな普通の人間で悪魔じゃないんだ、ということです。戦争とはもともと不条理なもので、どちらが正しく、どちらが誤っているなどとはいえないのです。」さらに主人公のギイについてデニスは、「今まで演じてきた中で、今回のギイは難しい役柄でした。かつては、彼も目的を持った人間でした。生きて人を愛したこともあった。それなのに、自分の人間性を崩壊させた悪霊によって無感覚になってしまったのです。そして、生まれたばかりの赤ん坊を世話することになったとき、彼は初めて精神的な地獄から徐々に抜け出して行くのです。ギイは、赤ん坊を通してかつての自分の人生に存在していた両親を再発見したのです。戦争の暴力性がその進路にある全てを破壊した後に、ギイがポジティブな精神を取り戻すきっかけとなったのが赤ん坊だった、というのは何か不思議です。」と語った。
最後に、ギイの同僚のドミニク役を演じたステラン・スカルスゲールドの言葉が今回の撮影全体を良く表している。「私が見る限り、この作品にヒーローはいません。勝者も敗者もないのです。観客が映画館を出るとき、希望と救いがあることを理解してくれれば、とだけ願っています。人間は自分を変え、もっと成長することが出来るのですから…。」