ヒーローを導く知恵と勇気の女神 ── 田中千代子(映画評論家)
スカイダイビングのアクション映画に「テス」や「パリ、テキサス」のナスターシャ・キンスキー???
この意外性がデラン・サラフィアン監督の狙いだった。「ターミナル・べロシティ」はただのアクション映画ではない、人間ドラマだという自負。ナスターシャの登場で娯楽一辺倒になりがちなアクション映画に文芸的な香りがもちこまれる。青年時代にヨーロッパで映画修行したサラフィアン監督らしい発想だ。
ナスターシャはフランシス・フォード・コッポラ監督の「ワン・フロム・ザ・ハート」などアメリカ映画にも出演しているが、やはりヨーロッパの女優である。父親は怪優にして名優の故クラウス・キンスキー。ポーランド系だが、ドイツ、イ々リア、フランス等の映画で活躍した。ナスターシャも父に劣らず、活動の範囲が広い。英・仏・独・伊など数力国語を自由に操る知性派でもある。頭脳明晰で咄嗟の判断力と勇気が要求される旧KGBのクリス役はまさにうってつけ。
このナスターシャに振り周されるタフガイにチャーリー・シーン。空の目立ちたがりや、スカイダイバーのディッチを気持ちよさそうに演じている。
ディッチは運動神経とセックスだけの男である。クリスに出会って、事件に巻き込まれるまで彼は何も考えたことがなかったのだろう。晴れた日の空のようにわかりやすい男だ。正義感とか使命感といったこととも無縁で、唯一あてはまるのは自己本位の思想。善悪・正邪以前のプリミティヴな領域で幸せに空をダイビングしていたディッチ。
ところがその空で彼は激しいショックを経験する。彼の生徒になったスカイダイビング初心者のクリスが真っ逆さまにおちていくのだ。パラシュートは開かず、どんどん地面に近づいて、大惨事。一体何があったのか。この暗からディッチはものを考え始める。が、まだ自己本位の段階だ。事故のからくりと背後の事情をクリスが説明し、彼に協力を求めた時にディッチの次の段階が始まる。公けの正義のために、人々の平和のために献身できるか、否か。
ディッチはいかにも単純明快なアメリカ男だが、物語の展開にしたがってどんどん精神的な成長をとげていく点では教義小説の主人公のようでもある。わがままな彼を導くのは聴明なクリス。彼女は知恵と勇気の女神、あるいは森の精霊といったらいいだろうか。
ナスターシャが初めて出た映画はヴィム・ヴェンダース監督の「まわり道」である。この時彼女はまだ十三歳だった。主人公は自分の道を求めてさすらいの旅をする青年。典型的な教養小説の主人公像である。この映画でのナスターシャは口のきけない少女の役だった。ヒロインではないが、主人公に鮮烈な印象を与える重要なキャラクターである。代表作の「パリ、テキサス」でもナスターシャはそこに存在(あるいは不在)しているだけで男たちに強い影響を与える女性を好演した。
今度のクリス役ではそうしたイメージをそっくり引き継いだというより、そのイメージを爽やかに残しながら、ミステリアスであるよりは堅実なヒロイン像を目指している。
空と荒野しかないアリゾナ州フェニックスのスカイダイビンクの教習所に現れたクリス。金髪がまぶしい華やかな美女だ。ディッチはたちまちとりこになる。スカイダイビングした後でデートすることを彼はすぐ考えたのだろう。心のウキウキが顔に出る。多分これがいつものディッチの行動パターン。教習所のなかでも女性の同僚たちはハンサムな彼に優しい。そうした環境でディッチはわがままいっぱいに生きてきたのである。
ところが不慮の事故。どうも変だ。殺人容疑までかけられたディッチは真相究明に乗り出す。これもわが身可愛さから出た行動である。クリスが生きていることを発見したディッチは身の潔白を証明することだけを考える。そのためまんまと敵の罠にはまり、クリスとともに命がけの脱出。この時ふたりは運命共同体になるのだが、それもすべてクリスのせいだとディッチは文句ばかり言う。彼のわがままは実に子供っぽい。だが、そこがチャーリー・シーンの魅力。
端正な顔立ちときりりとした目元がオーソドックスな美男子然としているチャーリー。その彼があたり前の正義のヒーローを演じたりしたら、似合いすぎて面白くない。自分勝手な未熟者、それがいい。
オリヴァー・ストーン監督の「プラトーン」以来チャーリー・シーンが演じてきたのは、「メジャー・リーグ」でも「ウォール街」でも成長途上の若者である。まだ大人になりきらない若者か年配の男に導かれるというのがジョン・ウェインの西部劇でもよく見られたアメリカ映画の伝統だ。若い女性が登場しても彼女たちは年配の男ほど強い力を及ばせない。ヒロインはあくまで愛の対象として若者が成長するのを待っていなければならなかった。
ところが今や時代はフェミニズム。わざわざ年配の男の助けを借りる必要はない。わがままで未熟な若者をヒロインがどんどん導いていってもよいのである。
クリスは頭脳といい、行動力といいディッチに抜きん出ている。勇気も責任感もある。旧とはいえどもKGB。立派な国家公務員である。そのプロフェッショナル倫理からかつての同僚がロシア・マフィアとなって世界に害をなすのを防ごうと孤軍奮闘。そのプロ意識がディッチを巻き込み、結果ディッチも精神的に大人になり、敵につかまったクリスを救出する。
ナスターシャのヨーロッパ的な美徳が、成長する若者というアメリカ映画の伝統と素敵な出会いをしたアクション映画である。