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Bon Internatinal (Sweden)

Fall 2007

Sonja Kinski

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映画? それは全く彼女の計画にはなかったのだ。しかし祖父は俳優:クラウス・キンスキー。母親の名前はナスターシャ。BONはウェスト・ハリウッドにアイダ・パイクを派遣し、友人であるソーニャ・キンスキーにデビュー作“ALL GOD'S CHILDREN CAN DANCE”について聞いてみてもらうことにした。

PHOTOGRAPHY BY J.C. DHIEN STYLING BY LIZ BOTES


「自分の理想とはかけ離れた人たちの間で育ったの。無意識のうちにほかの誰かを演じさせられてるみたいだった。そうするのが自然に見えると思ったのかも」

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── 「アイダ!」と大きな声が聞こえ、彼女はウェスト・ハリウッドのアパートのドアのカギを開けてくれた。

ソーニャ・キンスキーの身長は6フィート(182cm)にちょっと満たないぐらいか。彼女にはあっけからんとした可愛さがある。スッピンのまま、ゆるいフラットにあるアパートの中を黒のショートパンツと大き目のTシャツという組み合わせで案内してくれる。ボリュームのある黒髪をカーテンみたいに背中にかけながら。

しかし、こういう彼女の気取りのないスタイルに騙されてはいけない。今年という年は、まさにソーニャ・キンスキーの年になろうとしているのだ。彼女はスウェーデン出身の映画監督:ロバート・ロギュヴァルによる作品“All God's Children Can Dance”でついに女優としてデビューするのである。作品は村上春樹の小説を原作とし、『バベル』や『マルコビッチの穴』も手掛けたAnonymous Contentが製作する。彼女は既に10代のころからモデルとして成功していた。さらに、彼女の母親はあのナスターシャ・キンスキーなのだ。しかし、彼女自身はこのようなスポットライトを浴びることを夢見たことはなかったのである。

「女優になりたいと思ったことなんて一度もなかった」──とタバコの匂いがするアパートのフロアでソファにくつろぐと、彼女はつぶやいた。「小さいころは芸術家になりたかった。演技なんて、全く興味がなかったの。一番興味ないものだったかもね。母はいつも家にいなかったし。それが私を自立させたし、強くなれた気もするけど、あの世界が影を落としていたのも確か」

誰でもその影の部分が突如としてはっきり見えるようになることがある。ソーニャ・キンスキーの生い立ちにも多少なりにそれがあったのだ──彼女の場合、その業界が彼女に影を落としていた。彼女の祖父であるクラウス・キンスキーは、マーロン・ブランドを羊のように穏やかな紳士ぶりと比較すると、大嵐のような気性のドイツ人俳優である。彼はステージの上から火のついたロウソクを燭台ごと観客に向かって投げつけるような男だった。『アギーレ/神の怒り』の撮影中、彼はエキストラの指を銃で吹っ飛ばすという事件まで起こしている。

クラウス・キンスキーの娘であり、ソーニャの母親であるナスターシャは11歳のときにドイツでモデルとして仕事を始めている。1年後、ヴィム・ヴェンダースの『まわり道』で銀幕デビューし、早くもヌードを披露していた。16歳になると28歳も年上の映画監督:ロマン・ポランスキーと関係をもち、彼に連れられて渡米、 高名なリー・ストラスバーグのアクターズ・スタジオの門を叩く。ブレイクのきっかけとなったのは1979年のポランスキー作品『テス』、そしてフランシス・フォード・コッポラの『キャット・ピープル』(訳注:もちろんこれは誤った情報です)。ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』では形容しがたいほどの美しさをもつ女優としての名声を確固たるものにし、80年代最大のセックス・シンボルの一人として君臨するまでに至ったのである。しかしナスターシャ・キンスキーに関する事柄で最も有名なものは、リチャード・アヴェドンによる一枚の写真ではないだろうか。やっと成人になったばかりの彼女が全裸で床に寝そべり、その体に大蛇だけをまとったあの写真だ。それからおよそ20年の歳月が流れ、フランスの写真誌“Photo”がアヴェドンのポートレイトをリメイクしたことがある。ナスターシャの代わりにヌードになったのはほかでもない、彼女の娘=ソーニャ・キンスキーだった。

「まあ悩める十代、人生を模索してたんでしょ」とソーニャはモデルをはじめたころの自分を振り返る。「何に入れ込んでたのか自分でもわからないんだけどね。友達に自分のカッコイイところを見せたかっただけかも」

ソーニャとはじめて会ったときのことは一生忘れないだろう。そのとき私はアメリカに住む従姉妹のセレスタを訪ねてロサンゼルスに来ていた。セレスタは最初ニューヨークでモデルをしていたのだが、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフロントマン=アンソニー・キーディスと付き合うようになってL.Aに落ち着くことになったのだ。当時セレスタはソーニャと小さなアパートの一室をシェアしていた。ワンルームに1つのベッド。2人がどこで出会ったのかはわからないが、とにかく2人は何をやるにも、いつも一緒だった。ベッドさえも一緒に使っていたのだ。しかし、それがソーニャとの最初の出会いではない。実は彼女の兄上=アリがきっかけだった。私がロスに滞在していたとき私たちは付き合っていて、アリが私を「ヴァイパールーム」に連れて行ったときのことだ。黒い門構えのサンセット・ブルーヴァードにあるクラブで、1993年にリヴァー・フェニックスがオーヴァードーズで倒れ、目の前のストリートまで出たもののそのまま亡くなった伝説の場所である。ヴァイパールームのロビーはレッド・ヴェルヴェットとゴールドで装飾されている。分厚い、頑丈なドアはどんな小さな音も外に漏らさないようになっている。私がそれを開けたとき最初に目に飛び込んできたのはセレスタの姿だったが、そこにいた大勢の頭から一つ飛び抜けているのがあった。その頭こそ、ソーニャ・キンスキーだったのだ。

そのときは、彼女の母親が誰かなんて知る由もなかった。しかしヴァイパールームに座っている彼女を見ただけで、彼女がいったい誰なのか何となくわかってしまうほどだった。それは彼女の自分に刻み込んでいる絶対的な自信のような、周りの人々を引きつけずにはいられない際立ったオーラのようなものだったかもしれない。彼女はそこにまるで女王のように優雅に座っていた。自分が周りの注目を集めていることにも気づきながら。

時は変わって、2年前――13歳からモデルをはじめ(ちなみに現在は21歳)、2002年からはトミー・ヒルフィガーとも仕事をしていた彼女――ソーニャ・キンスキーはヴァイパー・ルームにいるみんなが隣に座って話をしたがる憧れの女性になっていた。そして現在、彼女はロバート・ロギュヴァルの“All God's Children Can Dance”のスクリーン・テストを受けている。マンツーマンの演技レッスン、そしてオーディションをこなす日々を送っているのだ。

「セレスタを通じてロバートに連絡を取ってみたの。彼はアンソニー・キーディスの古い友人でもあったからね。彼がこの台本を持っていたんだけど、私がホントにスクリーン・テストを受ける気があるのか疑ってたみたい。脚本を読んでみたら、私にもこれができるかもしれないと思った」

ソーニャはスクリーン・テストを受け、見事その役を獲得した。個人的には、彼女は演技というものを一種のアートと捉えている気がする。人々が演劇学校に通って自分の出し得る声を追求するように、またある人はアート・スクールに通って模倣や実験を重ね、自らのイディオムを追求するように。多くの人々には、そのアイデンティティ探しのための実験が果てしない作業となることもあり得るのだ。

「自分の理想とはかけ離れた人たちの間で育ったの」と、ソーニャはくわえタバコのまま目を細め、気だるそうにつぶやく。「無意識のうちにほかの誰かを演じさせられてるみたいだった。そうするのが自然に見えると思ったのかも」

All God's Children Can Dance”の脚本は村上春樹が2000年に発行した短編集“After the Quake”(訳注:『神の子どもたちはみな踊る』の英訳版)に収められていた一編を原作としている。村上は日本生まれの日本育ちであるが、西洋文学と音楽に強い影響を受けた作家だ。彼の商業的に成功したいくつかの作品にはポップ・ソングから拝借したタイトルが見受けられる。ビーチ・ボーイズの『ダンス、ダンス、ダンス』やビートルズの『ノルウェイの森』といった具合に。

村上は評論家やファンからアジア文化における感情的/性的なタブーというものを刺激的に扱う作家として支持されていることが多い。“All God's Children Can Dance”も例外ではない。ロサンゼルスのコリアタウンで、父親不在のまま育った青年=ケンゴを主人公とし、一緒に暮らす母親は「お前は神の子供なんだよ」と訴える。ソーニャはケンゴのガールフレンド=サンドラ役で、優しさと愛情、セクシーさを兼ね備えた女の子だ。彼女はケンゴを愛しているが、自分がずっと彼と行きたいのか一瞬迷ってしまう。しかし、ケンゴの情熱はあるとき自分の母親とのエロティックな関係に注がれてしまい、自暴自棄になった彼は父親探しに向かう。大人になっても彼は神の存在を信じてており、サンドラに対し決意を迫る。ケンゴは自分の問題に真剣に取り組み、地に足をつけなければならなくなる。彼もサンドラと過去、という選択を迫られるのだ。ソーニャは撮影中のエピソードについて語ってくれた。

「あの役を演じていたときは、別の世界に行っているみたいだった。いつも役のことを考えて、自分の中に彼女のキャラクターを入り込ませて――これ以上ないというぐらい彼女になりきることができた。いつもペンとノートを持ち込んで、思ったこと考えたことを書き留めてたの。すごく刺激になった。やりたいことが見つかった、っていうか。人生観が変わっちゃった」


「子供のころは絵もよく描いてたし、書き物もしてた。いろんな夢があったの。でもモデルをはじめてから、みーんなやめちゃった。自分を見失っちゃって、お酒を飲むようになって、毎日夜遊びして――」

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スクリーン・デビュー以前のソーニャの生活は彼女いわく「かなり派手」なものだったらしい。『テス』で成功した後、突如ヨーロッパに舞い戻ったナスターシャ・キンスキーは、映画プロデューサのイブラヒム・ムッサと結婚し、ソーニャとアリという2人の子供を設けた。ムッサとの離婚後、1991年に彼女はクインシー・ジョーンズ(ほかでもないマイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』を手掛けたスーパー・プロデューサー)と再婚する(訳注:正確には、籍は入れてません)。7年間近く、ソーニャはクインシー・ジョーンズ、そしてナスターシャ・キンスキーと一緒にビバリーヒルズに住んでいた。この組み合わせとくれば避けられないのがパパラッチが押し掛けてくる毎日である。

ソーニャは現在、ロスのサンセット・プラザにほど近い場所に住んでいる。住まいの建物は大きく、外壁は白い大理石、爽やかな芝生の匂いがたちこめ、それ自体も綺麗に整備されている。しかしソーニャのアパート自体は特にデザインがすごいわけでも家賃が高いわけでもないという。コーナーにはグレー/ブラウンのソファが本棚に向かって置かれている。古いドレッサーの上にはメモ帳とペンが重なって散らばっており、壁にはイラストや写真は貼ってあるという具合。照明は薄暗く、部屋にはタバコの匂い。ソーニャは絶えずタバコを吸っている。彼女は人差し指と中指でタバコを挟みながら私のすぐそばに座る。そして過去数年の彼女に関係する出来事を無我夢中で語ってくれる。

「子供のころは絵をよく描いてたし、書き物もしてた。いろんな夢があったの。でもモデルをはじめてから、みーんなやめちゃった。自分を見失っちゃって、お酒を飲むようになって、毎日夜遊びして。自分の居場所を見失ってたのね。もうあんなことにはならないでしょうけど」

いまのソーニャは自分を取り戻すことができたようだ。「人生で起こる全てに意味がある」と彼女は言う。失敗から学んだ、とも。最悪に自暴自棄だったとき、書き物を再開したことがあるのだが、自分がいかにクリエイティビティの手段というものを見失っているか実感するハメになったという。話し始めたときの彼女の言葉は怒りに満ち、イライラしたものだったが、しだいに落ち着きを取り戻し、哲学性を帯びてくるようになった。ソーニャは再び絵画をはじめ、最近の一番の趣味を見つけた。写真だ。

「やりたいことがありすぎる」と自分の顔の前の煙を振り払いながら彼女は言う。「だけど、一番重要なのは自分の信じられるものを見つけることね。だから映画館が好きなんだと思う。これはホントにそう。ここが私のいる場所なんだ、っていうか。本当に良い演技というのは、ただ演じるだけじゃ成立しないものだと思う。それこそが“All God's Children Can Dance”の撮影の中で起こったことよ」

ソーニャは無我夢中で、止まることなく喋り続けていたのだが、話の途中でそれを中断し、立ち上がってドレッサーのところへ向かっていった。素早い動きで彼女は自分の髪をルーズに巻き上げ、後ろへ結わえた。私は彼女の細くて若々しい首筋に見とれてしまった。

「もしよければ」と彼女は耳の後ろへ髪をたくし上げながら「いま書いているものを見せてあげる」と言ってくれた。花柄の罫線が入った秘密のノートにソニャは最も私的なアイデアをしたためているのだ。そこには一人の少女が人生を理解しようとするストーリーが書かれていた。たくさんの夢をもった少女。私は圧倒され、なんだか嬉しくなってしまった。ソーニャが彼女の大切な写真を収めた本を開けた途端、開放的で親密な空気が我々を包んだ。彼女はその後も映画、監督、俳優(お気に入りにはケイト・ブランシェットやアンジェリーナ・ジョリー、そして家族のように仲の良いレオナルド・ディカプリオが含まれている)について話してくれた。そんな話の途中で、また彼女は思い立った蝶に私の腕を掴み、急かされたように、何かを打ち明けるように私の目を覗き込んだ。

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「アイダ、ジェイソンに電話していい? 彼ならすぐ来られるし。会っておいた方がいい! 呼んでみるから、ちょっと待てる?」

ジェイソン・リュウは“All God's Children Can Dance”でソーニャの相手役=ケンゴを演じている。ソーニャのボーイフレンドでもあるのだ。

「こんな風に男の人と仲良くなったことはなかったかも」といいながら彼女は電話をかけ、彼はすぐ向かうよ、と返事したようだった。ほとんど数秒ではなかったか! まるで彼の方がアイダに会う必要があったかのようだ。

「撮影で7ヶ月一緒だったんだけど、そのあと2人で一緒に引っ越したの。超チャレンジなことだったけど、超ポジティブな引っ越しだった」

彼女はうつむき加減で、ちょっと気恥ずかしそうにそう話してくれた。ソーニャとジェイソンは映画がきっかけで出会ったものの、撮影が終わるまで交際しているわけではなかった。しかしお互いに興味はあったのだ。「美しいからといってハッピーになれる保証があるわけじゃない」と、ソーニャは我々が嫉妬してしまうようなことをいう。彼女のこれまでの恋愛は短い関係だったり、問題を抱えたり、酷い結末を迎える傾向があったようだ。2年前、俳優オーランド・ブルームとのロマンスという噂だけが選考したことがあった。しかしセレブリティとの交際にソーニャがこだわっているわけではない。ジェイソンはニューヨーク出身で、それまで演技と演出について学んでいたものの、ソーニャとおなじく“All God's Children Can Dance”でデビューした全くの新人なのである。

ジェイソンが到着すると私たちはアパートの上階のソーニャの部屋に上がっていった。ジェイソンはその大きくてフワフワしたベッドに腰を下ろす。ソーニャもジェイソンの隣に座る。ジェイソンはクルクルした黒髪で、痩せていて、アジア系の風貌をしている。彼はその目を愛情たっぷりにソーニャに向ける。ジェイソンといると、気高く息を呑むような美しさのソーニャが繊細で、か弱い女の子に見えてくるのが印象的だった。鹿尾は彼の体に絶えず触り、静かに、急いだように話しかける。彼の袖を引っ張る。キスをする。溌剌とした、幸せそうな笑顔を見せる。


2年前の時点で既に、ソーニャ・キンスキーはヴァイパー・ルームの全員が憧れる女の子だった

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彼らの世界に浸っていると、全てが気ままで心地よく感じられてしまう。ソーニャが箱からビデオテープやDVDを引っ張りだす。クラウス・キンスキーの最も有名な出演作、ヴェルナー・ヘルツォークによる作品『ノスフェラトゥ』(1979)と『フィッツカラルド』(1982)だ。ドキュメンタリー『キンスキー/我が最愛の敵』で、ヘルツォークは彼との激しい友人関係について語り、キンスキーの殺害計画まで明らかにしている。一方、キンスキーの方も彼の親友=ヘルツォークを殺そうと企んでいたというのだ。ソーニャはキンスキーとヘルツォークが組んだ作品をコンプリートしている。2年前、彼女は自分が会ったことのない祖父の話を聞くためにヴェルナー・ヘルツォークのもとを訪れたというのだ。

「私の祖父は魅力的な役者だったわ」と彼女はいう。「このボックスセットを観たあとにヘルツォークに会いにパリへ行ったの。プロフェッショナルとして、祖父は非凡なひとだった」

「そうだ! ロバートとも話してみてよ!」と今度はジェイソンが提案し、自分のケータイを取りに走る。

「やあロバート、ケンゴだよ」と彼が電話越しに話している。ロバート・ロギュヴァルはスウェーデン出身だが、ここ数年はロスで広告用の映像を製作していた。All God's Children Can Dance”は彼が指揮をとった最初の映画である。撮影中に私たち3人はすごく仲良くなったの、とソーニャがいう。私が電話を代わると、ロバートはソーニャとジェイソンがいかに素晴らしかったか(当然だ)を話して聞かせてくれた。私たちが話しているとき、彼はちょうど最後の編集のために映画を見返しているところだったのだ。電話が終わると、私たちはキンスキー/ヘルツォーク作品の夕べ、を決行することにした。1本目は『ノスフェラトゥ』。クラウス・キンスキーは血に飢えたドラキュラを演じており、生き血を求めて若い女の首をガブリとやるのだ。ソーニャはこの映画を何回も見ているようで、ベッドサイドのクッションの上に座って良く通る声で解説を挟んでくれた。

「出てくるよー、変装したおじいちゃんが。あの目を見てよ! もう演技とかじゃないよね。本物のドラキュラだよ!」

体を揺らしながら嬉しそうに爆笑するソーニャ。そんな楽しそうなときの彼女は小さな女の子みたいだ。彼女はお気に入りのシーンを早送り、巻き戻し、スロー再生を駆使して我々2人の客人のために解説をしてくれる。

「おじいちゃんが死んじゃう!」と画面に映るテーブルに腰掛けた悲劇の不動産屋、そして飢えたドラキュラ/クラウス・キンスキーを見ながら楽しそうに叫ぶ彼女。

ソーニャのあどけない瞳が輝きだす。その表情でどんな感情も表現できてしまうのだ。悲嘆にくれた表情、しかめっ面、笑い、そして誇らしい笑顔。彼女は映画にワクワクしてはしゃいでいる子供のような視点を持っている。それは私たちも時々思い出さなければならないのだろう。そう、童心にかえるということを。

All God's Children Can Dance”は8月29日〜9月8日まで開催されるヴェニス映画祭で上映されるもよう。原作の短編を含む村上春樹の“After the Quake”は各書店で入手可能。Atranticから発売されたKinski/Herzogボックスは6作品を収録。ナスターシャ・キンスキーの出演作はお近くのDVDショップで確認できることでしょう。