(Filed: 16/04/2002)
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ジュリア・ロブソンが見たソーニャ・キンスキーは、母親であるナスターシャの美貌の遺伝子を受け継いでいる。
先週、マンチェスターのトミー・ヒルフィガーのショップの盛大な開店イベントが行われ、そのキャンドルライト・ディナーで、招待客の目はいっせいにソーニャ・キンスキーに注がれた。
(左から)ソーニャ・キンスキー、キャット・ディーレイ、ジョージ・P・ブッシュ、リー・ウッド。
女優ナスターシャ・キンスキーの16歳になる娘は、アメリカ合衆国大統領の甥であるジョージ・P・ブッシュとともに、全てのアメリカのブランドを代表する大使として登場した。
彼女はそこに座ると、ミネラル・ウォーターのグラスを静かに見つめ、会場にいる客の全ての視線が自分に集まっていることを忘れようとしているように見えた。
彼女が視線を上げ、大きなブラウンのバンビのような瞳が瞬きすると、会場はしんと静まりかえったのだった。ソーニャの、現在においても世界でもっとも美しい女性と考えられる母親と目立ち過ぎるほど似ていることから目をそらすことは不可能なのである。
それはソーニャのダーク・ブラウンの瞳や肉感的な唇だけから思い起こされるものではない。忘れがたき映画、『キャット・ピープル』や『パリ、テキサス』で彼女の母親がつくり出した儚気で深く根底にあるセクシーさという、世界が羨むキンスキー家の血をソーニャはひいているのだ。
ちょっと驚いたのは、彼女の喋り方が母親のようなハスキー気味のドイツ訛りなアメリカ英語ではないことだった。
「ママはとても厳しいひとよ」、とソーニャはソフトなカリフォルニア調のゆっくりとした話し方で語る。「彼女ったらヨーロッパにまで学校の教科書を全部持ってこさせるの。フランスにいたときは雨が降ってたから、毎日必死に勉強しなきゃいけなかった」
ソーニャの本業はモデルではなく学生なのです、と彼女の付き人が私に言い、シャンペンのグラスはこの若い娘の手の届かないところに移された。
トミー・ヒルフィガーのために仕事をするのは、キンスキー家とこのアメリカ人デザイナーが親しい友人だからという理由で例外なのだそうだ。
「LAのお店のオープンのときにママとぶらついてたんだけど」ソーニャが言う、「いきなりトミーがそばにきて、たちどまったの。『君はうちのモデルになるべきだ』って彼は言ったわ。それから、私たちはすごく親しい間柄になったというわけ。ママもトミーの服が好きだし、私も好きだった。新鮮で若々しい感じっていうのかな。去年はそのトミーのお店でいくつか仕事をさせてもらった、学校が休みの日だけね」。
パリ支店のオープニング期間、ソーニャはフランス版『ヴォーグ』に掲載され、ファッション界で最初の注目をあびることになった。
「あの記事はファッションというより私についての記事だった」彼女は言う。「でも私、モデルにも女優にもなる気はないの。私がなりたいのは画家」。
彼女の母親はどうやら歴史が繰り返されないですみそうだ、ということにホッと胸をなで下ろしているだろう。14歳のとき、ナスターシャは42歳の映画監督ロマン・ポランスキーにあるパーティで出会ったのだ。その出会いは彼女をモデルの仕事へと導かせ、最終的には色恋沙汰に発展した。彼はその後『テス』で彼女をスターにし、その役で彼女は1981年のゴールデン・グローブ最優秀女優賞を手にしたのだ。
「『テス』は私のお気に入りの映画」と語るソーニャの父親は、エジプト出身の映画プロデューサ=イブラヒム・ムッサ氏である。
彼女の母親は普通でない子供時代をすごしたにもかかわらず──ナスターシャの父親は俳優のクラウス・キンスキーで、彼女は13歳にして映画デビューを飾っていた──ソーニャは比較的普通の育ち方をしている。「私はベル・エアの普通の学校に行ってます。好きな科目は芸術と美術ね。油絵が好きなの」と、彼女は言う。
「ママと私はすごくいい関係よ。私たちは私たちだけの小さな世界に住んでる。彼女は考えられるすべての事柄において私の分身であり、同時に指導者なの。私たちは何でも話すし、服も交換したりする。ヴィンテージなものから、ジーンズにTシャツみたいなシンプルなのもほんとにたくさん持ってるのよ」
「とにかく、ママは女優として特別スターというわけでも平凡というわけでもないわ。彼女は他の俳優とは付き合わないし、毎日パーティに出かけたりもしない。彼女は普通の人々の生活を選んだのよ。私にこのモデルの仕事をやらせてくれたのは、私が学校の成績に関してストレスを感じていたからなの。彼女は私を楽しませるのが大好きで──事実、これは本当に楽しい仕事だった」。
記事翻訳:田所典明(NASTASSJA KINSKI JP)